ふたたび出会って好きになる ~2017年3月ペーパー再録SS~

朱い実の思い出

「和馬、二階にいるんでしょう? 下駄箱の整理してるんだけど、いらない傘がたくさん出てきちゃって。あなたのものもあるから、見てくれない?」
 母が階下から声を掛けてくる。高校二年になった夏のはじめ、和真は漫然と見ていたスマホから顔を上げ、体を伸ばした。梅雨に入ったせいか、どうにも眠く なってしかたがない。階段を下り、玄関に向かうと床の上に二十本ほどの傘が並んでいた。
「俺に断らずに捨てていいのに」
「この前、本を捨てたら怒ったでしょ。だからよ」
 気を遣うところが違う、と思ったが黙って自分のものらしき傘を選び、広げてみる。その中に、子供用らしい紺色の傘がまじっているのに気が付いた。名札が ついているが、名前は書かれていない。
「俺、こんなの持ってたかな」
 ワンタッチのボタンを押すと同時にポンという音がして傘が広がり、頭の中に古い記憶がよみがえってくる。

 小学校四年生の頃、夕方遅くまで篤史と学校で遊んでいて、帰ろうとしたときに雨が降ってきた。しばらくすればやむだろうと、体育館の軒下にいたが、どん どん降りが激しくなってくる。
「和馬、ちょっと待ってろ。俺、教室に置き傘してたと思う」
 小走りで去っていった篤史が手にして戻ったのは、二本の傘だった。
「ほら、和馬」
「ありがとう。でも、二本も置いてたのか?」
「だれかのやつを借りた。こんな遅い時間にだれもいないし、明日返しゃいいだろ」
 無断で借りるのは気が引けたが、もう教室にはだれも残っていないような時間だから、迷惑はかからないだろうと篤史が言う。それに、雨の降りかたがひどく なってきたので、和馬は考えるのをやめた。紺色の傘を広げると、先端のつるの部分近くに穴が空いていた。
「この傘、破けてるけど」
 ふたりで紺色の傘を内側から覗くと、雨がポトリポトリと雫になって落ちてくるのが見えた。
「……しょうがないな。俺の傘にふたり入って帰ろうぜ」
 子供用の傘だから、ふたりでぎゅっと肩を寄せて密着しても、外側の肩に雨がかかってしまう。
「お前、もっと向こうに行けよ」
「お前こそ」
 互いに小突きあうようにして、家路に向かう。くっついて歩いているうちに押しくらまんじゅうのように動く自分たちがおかしくなり、気付けばどちらからと もなく笑っていた。
「ふふ、篤史だっせぇ。せっかく借りてきた傘に穴空いてた」
「和馬こそだっせぇ。傘持ってきてないじゃねぇか」
 言い合ううちに、雨に濡れることがなにかのゲームのようになってくる。体を動かしたときの高揚感もあいまって、たとえようもなく愉快で、そばにいる篤史 と同じ気持ちだという一体感に包まれた。
「あ、グミの実がなってる」
 街路樹のなかにひときわ大きく育った木があり、枝の端に朱(あか)い提灯のような実を付けていた。和馬よりも背の高い篤史が背伸びをして、数個もぎ取っ てくれた。
「ありがとう」
「あのさ、和馬。俺たちずっと友達でいような。大人になっても、こんな馬鹿やってような」
 口に実を放り込み、和馬はうん、と頷く。甘酸っぱくて口が窄まる。
「小学校からの一生の友達なんて、きっと珍しいな」
 一生の友達。あまり友人のいない和馬にとって、それは極上の甘露のような言葉だった。目を瞬き、同じように濡れた髪を額に張り付かせてグミの実を口に含 む篤史と顔を見合わせる。
「約束だぜ」
 
 高校生の和馬は小さな傘を手にしたまま、篤史と濡れながら帰ったことを思いだした。
 あのあと篤史は、学校からより遠い家の和馬に傘を貸してくれた。それから晴天が続いたせいか、篤史に返すのを忘れてしまったのだろう。
 高校生になって、篤史と恋仲になるとは自分でも思わなかったが、あのときの『ずっと友達でいよう』という篤史の言葉は和馬の心に響いていた。
「すっかり忘れてた。篤史は覚えてるかな……」
 
 翌日、篤史が部活のあとに家へ来た。
「なんか食うもんちょうだい」と言って和馬の寝台であぐらをかいて座る姿を見て、付き合いだしてから遠慮というものがなくなってきたなと思う。
 菓子を用意しに一階に降りたついでに、この前見つけた傘のことを思いだした。片手に菓子や飲み物を乗せた盆、片手に子供用の傘を持って二階へ上がる。
「篤史、揚げせんべいしかなかったけど」
「サンキュ。……あれ、なにそのちっさい傘?」
 和馬の手元を見てそう言った。和馬ですらはじめは思いだせなかったのだから、仕方がないにしても、自分の持ち物を忘れるとは。 
「これ、お前のだよ。小学校のとき、もう一本借りようとしたけど穴が空いてて。忘れたの?」
「見せて」
 男児用の傘を受け取る篤史は首を傾げている。
「そういや、こんな傘持ってたな。うん、俺の傘だ。でも、お前に貸したこと覚えてないなぁ」
 あれ? と和馬は違和感を覚えた。自分はすぐに、あの雨の約束を思いだしたのに、篤史はなにも思いださないようだ。
「あのさ、これを借りっぱなしになった雨降りのとき、ふたりで傘に入ってたのにふたりともびしょ濡れになって帰ったの、覚えてる?」
「いや、全然」
 ポリポリ、と揚げせんを囓りながら、篤史が寝台でスマホをいじる。
「げ、明日も朝練あるのか。今日は無理だけど、明日はお前とえっちできると思ってたのに無理そうだな」
 そのまま、寝台に背中から倒れ込んで「休みになんねぇかな」とつぶやく。どっちがこの部屋の持ち主だ、と言いたくなるような大きな態度に、開いた口がふ さがらない。
(落ち着け。篤史はアホだから、すぐに思い出せないだけだ。少しづつ話したらきっと思い出す)
 だってあんなに楽しかったのだから、と自分に言い聞かせる。あの時、雨で体が冷えるのに、篤史とふたりで濡れているという一体感が和馬を幸福にした。 『ずっと友達でいような』という言葉で、当時ほとんど友達がいなかった和馬がどれだけ舞い上がったか、篤史は想像もしたことがないのだろう。
「あのさ、俺も今日思いだしたんだけど。小学校のときに……」
 和馬は雨に濡れた一日のことを話したが、篤史が思いだす気配は全くなかった。

 翌朝、和馬は寝不足の赤い目のまま登校し、自分の席に座った。篤史はというと、別グループの吉見となにか喋って笑いあっている。
 なんだかモヤモヤしてしょうがない。篤史を責めたい気持ちで一杯なのに、当の本人は言った言葉を綺麗さっぱり忘れているのだ。
(くそ、俺しか覚えていない約束なんて意味がない。篤史のアホ。絶対に覚えてくれていると思ったのに)
 それとも、子供同士の他愛もない約束を大事に覚えている自分がおかしいのだろうか。こんなことを言うと、まるで成長していないと思われそうだ。
(たいしたことじゃない。気にするのもばかばかしい)
 ほかのことを考えようと、ノートに目を遣る。篤史の能天気な笑い声が耳についた。

「なぁ和馬、なんでそんなに怒ってんの?」
 放課後、サッカー部が終わる篤史を図書室で待ち、一緒に和馬の家まで帰ってきた。帰るあいだ、邪気のない顔で話しかけてくる篤史を見て、むしょうに腹が 立ってしまったのは、まだ自分が昔の約束にこだわっているせいだろう。
「怒ってねぇよ」
「そうか? そんなら、なんでこっち向かねぇの?」
 和馬の部屋に着くなり肩に手が伸ばされ、軽く力が入れられる。
「かーずまくん、和馬?」
「……」 
 篤史がみずからのネクタイをゆるめてブレザーを脱ぎ、勢いよく床に放り投げる。
「和馬、服脱ご。えっちしようよ」 
「しません」
 つん、と篤史と逆方向を向くと、未練たらしい声が聞こえてくる。
「えー。今日部活のとき、そのことばっかり考えてたんだけど」
「知るか。血抜きでもしてもらえ」
「だいたい、なんでそんなに怒ってんのか分からない。俺、なんかした?」
 なにもしていないが、大切な思い出を覚えていないというのは、充分怒るに足る出来事ではないだろうか。
「お前の脳味噌が少ないから。数年前のことも覚えてないなんて、細胞分裂が終わっているとしか思えない」
 あさっての方向を向いたままそうぶちまけると、篤史が嘆息を吐いた。
「あぁ、やっぱり。俺なんか忘れてたのか」
 両手で頬を挟まれ、ゆっくりと篤志のほうに向かせられる。唇同士がふれあうだけの軽いキスをすると、篤史はなぜだか傷ついたような表情になった。
「……ごめんな?」
 そうだ、と言ってポケットに手を入れ、目の前につやつやと朱色に光る果物を差し出してくる。
「グミの実、やるよ。今朝、朝練してた時に見つけて、夕方の練習が終わったあとに摘んできた。お前小さい頃好きだったろ」
「あ……」
 和馬は朱い実と篤史を交互に見比べる。細長い提灯のような実と、照れくさそうな顔。傘に絡んだ一連の出来事は忘れているのに、篤史は昔和馬が欲しがった 実を覚えていてくれたのだ。
「機嫌なおしてくれる?」
(篤史はずるい。俺がなんで怒ってたのか知らないくせに、機嫌を直すようなことだけは上手い。……でも、俺のこと考えてくれてたんだ。なんで怒ったのか思 いだそうとしてくれたんだ)
 そのことが、どうしようもなく嬉しい。 鼻の頭がツン、と痛くなる。見ている景色が少し潤んで、世界が揺らいでしまう。
「馬鹿篤史……!」
「えっ、和馬!?」
 こんなことで嬉しくなってしまうなんて悔しくて、感極まった姿を見られたくなくて、少し背の高い篤史に寄りかかる。そのまま寝台に倒れ込んで、子犬のよ うにじゃれ合った。

【了】
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