あたたかな掌SS 3(悠真視点)

隠しごと

放課のベルが鳴り響くと同時に、悠真は席を立つ。目指す美術部室がある特別棟へと足を向け、渡り廊下を通ったとき、ひときわぬるい風に吹かれた。まだまだ冬だと思っていたが、今日はやけに暖かく、じきに春がやってくるのだという予感がする。
 リノリウムのタイルが貼られた廊下から、美術室をそっと覗く。
 数名の部員と談笑する、欧風美形が目に入る。窓から降り注ぐ光が反射して、薄茶色の髪のまわりが光り、緑の双眸と相まって黒一色の部員から浮いて見える。
(よし。今なら誰もこっちを見ていないし、気づかれないだろう)
 腰のポケットからスマホを取り出し、引き戸の隙間からカメラ機能をオンにして構える。目指す被写体は、下級生と話すひときわ目立つ存在だ。レンズ越しの外国人のような容貌をとらえ、画面下にあるシャッターボタンを押そうとした瞬間、背後から同級生の声がした。
「吉沢君、資料でも撮ってるの? ちょっと中に入りたいんだけど」
「あ。ご、ごめんっ」
 あわてて場所を譲る。ガラリと引き戸が開けられ、女生徒とともに悠真の姿も美術室内から丸見えになってしまう。
「悠真、来たんだ」
 窓辺で部員に囲まれていた小鳥遊がこちらに気付き、近づいてくる。
「小鳥遊先輩」
 手に持っていたスマホを、さっと上着の腰ポケットに仕舞い、悠真は後退った。
「あの。俺、ちょっと忘れ物したみたいで。取りに戻ります」
 それはとっさに思いついた嘘だったが、小鳥遊に気付かれずにもう少し、写真を撮りたかった。
 ふたたび美術室に入るためのいい口実が出来たし、実際自分でも「使える」と思ってしまった。
「そう。じゃ、僕もついて行くよ」
 なのに、小鳥遊は悠真の胸のうちとは逆のことを言ってくる。
(どうしよう。教室に戻っても、置きっぱなしの教科書くらいしかないのに)
 早足で歩いていると、小鳥遊が「悠真、ほとんど小走りになってるよ」と笑って手を引っ張ってくる。
「そんなに慌てなくってもいいじゃない。この前は合格発表について来てくれてありがとう。悠真がいてくれたから、心強かった」
 悠真はこの美しい三年生・小鳥遊と付き合っている。男同士だからだとか、自分よりも才能があって綺麗すぎるからと告白すら出来なかったのだが、ある事件がきっかけで打ち明けられた。
 それ以来、小鳥遊いわく「恋人同士」になり、部活が終わったあとには互いの家に寄ったり、頻繁にメールを交わしたりしている。といっても、秋以降は小鳥遊の受験勉強が佳境に入り、まともに会うのは先週末の合格発表のとき以来だ。
(先輩はもうすぐ、この高校を卒業してしまう。制服の先輩を見られるのは、あともうちょっとなんだ)
 胸がきゅっと絞られたように痛くなる。三年生の小鳥遊と付き合うということは、一年しか同じ空間にいられないということなのだ。そんな簡単なことにも気付かなかったなんて、付き合い始めた頃の自分は相当浮かれていたのだと思う。
「……悠真?」
 考えに没頭してしまったのか、目の前に回り込まれる。
「なんだかようすが変だ。どうしたの?」
 悠真は歩みを止め、小鳥遊のほうへと振り返った。挙動不審なのが小鳥遊に悟られていた。もう、自分の抱えている問題を打ち明けたほうがいいだろう。
「先輩の写真を、撮ろうと思ったんです」
「写真?」
「はい。もうすぐ先輩は卒業しちゃうでしょう? 今までみたいに、部室で会えなくなる。だから隠し撮りしようと思って、うろうろしてたんです」
「そうだったの。でも、なんで隠す必要があるの? 付き合ってるんだから、気軽に言えばいいのに」
 不思議そうな顔をした小鳥遊が手をほどき、「はい、どうぞ」と言って腰に手をあてカメラ目線になる。
「そういうんじゃなくて、自然なのがいいんです。カメラを意識していないような。普段通りの先輩が欲しいんです」
「え?」
 聞き返されて、自分の言った言葉を頭の中で反復する。
 変な言葉を使ってしまった。勢いあまって、先輩が欲しいとか言ってしまった。赤い顔で慌てて言い直す。
「先輩の写真が、です!」
 一瞬のあと、小鳥遊がきょとんとした顔をして楽しそうにくすくすと笑い出した。そのまましばらく言葉が出ないほど笑い続ける。
「ごめん、笑いすぎた。むきになる悠真がかわいくって」
 笑いの発作がおさまったのか、腹のあたりを押さえている。
「じゃあなるべく、悠真の視線を気にしないように過ごしてみるよ。だけど、どうしたって写真ににじみ出てしまうんじゃないかな。僕が悠真を好きだってことが」
 緑色の双眸が、愉快そうに細められる。
「悠真が僕の卒業を寂しがってくれるのは嬉しいけれど、正直、受験が終わってほっとしてるんだ。これからは受験勉強に時間を取られることもない。大手を振って悠真と一緒にいられるって思うと喜びしかなかった」
そう言って、廊下の柱に隠れるようにして、悠真のものよりも大きな掌で両手を握ってくる。からっと乾いた感触が心地いい。
「……あ」
「悠真ともっと一緒にいたいと思っていたから、受験勉強も頑張れた。ありがとう、悠真」
 成績優秀な小鳥遊にとっても、受験はストレスだったのだろう。受験勉強をするためのモチベーションが自分だったと言われて、思いがけず愛の告白されているような気持ちになる。
「先輩」
「指先が冷たいよ。まだ冷え症が治っていないのかな。さすろうか?」
 小鳥遊がにこりと微笑んだので、急に心音が早く鳴りはじめてしまう。だけど、ここは部室棟の廊下で、今すぐ部員のだれかと鉢合わせしないとも限らない。
 ぶんぶん、とかぶりを振ると、
「そう。じゃあ、また今度ね」
 とあっさり手を離された。ほっとしていると、少し腰を屈めた小鳥遊が、耳元にひそひそと声を吹き込んでくる。
「好きな子に無理強いして、嫌われたくないから。さっきも言ったけど、受験勉強の目標になるくらいには悠真のことが好きだからね」
「せ、先輩っ」
 手を握ったまま艶めいたテノールがじかに耳に流れ込んできて、背筋にぞくぞくと怖気が走る。 
(どうしてこの人は、どうしてこんなにストレートなんだろう。周りに人がいなくてよかった。好きって言ってくれるのは嬉しいけど、でも……)
 耳まで赤くしながら、悠真は頭上の美形に向き直る。
「あの。ここ、まだ学校ですし、こっちが恥ずかしくなっちゃいますから、もっと抑えめでお願いします」
 嘘だ、という自分の心の声が聞こえる。
 今にも体の芯がぐにゃぐにゃになってしまいそうだから、途中で制止した。
ほんとうは、もっと言ってほしい。好きな人からの愛の言葉は、とろけるように甘美だから――。
Copyright(c) 2017 kiyonya All rights reserved.